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私にとってラグビーとは #02 – WOMEN’S RUGBY COMMUNITY

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伊藤絵美さん

PEARLS チームマネージャー

三重県を拠点に活動する女子ラグビーチーム『PEARLS(パールズ)』チームマネージャーの伊藤絵美さんの3部構成のコラム。社会人になって女子ラグビーと出会い、気が付けばチームスタッフを任されるほどどっぷり。そんな伊藤さんにとってラグビーとはどんな存在か。#2では日本代表としての活動について振り返ります。

日本代表選手としての活動

初代表は東日本大震災の後すぐのタイミングで参戦した2011年の香港セブンズでした。

直前合宿も満足に出来ず、招集された選手は10名。現地で試合前日に行われたジャージプレゼンテーションでは、被災し液状化した自宅付近の状況を冨田真紀子が生々しく涙ながらに話してくれました。直前合宿もなく参戦した我々でしたが、日本に勇気と感動を与えるという強い使命感と、被災された方々を想い魂を込めたラグビーをすることで、One Teamになることに時間はかかりませんでした。

私のような初代表、トライアウトから競技転向した選手もいる中で、格上の対戦国を破っての大金星もありました。自分たちがただ勝ちたいとか、代表選手としてチームに残るためにアピールして、結果を残したいとか、そんな想いだけでプレーした選手は1人もいなかったと思っています。

『チーム全員が強い使命感のもと、大切な誰かを想ってラグビーをする。決して自分のためだけではない。チームのために、日本のために全身全霊でラグビーをする。』

この想いがチーム全員ブレなかった時、チームは『本物』のチームになりました。この経験は今も私のチーム作りをする上での礎となっています。

初代表がこの香港セブンズで強烈な思い出として体にも心にも刻み込まれた私は、日本代表としての誇りや何のために日本代表としてプレーするのかを強く意識して活動出来るようになりました。

厳しい代表合宿でも合間には笑顔のサクラセブンズ初期メンバー

初期のサクラセブンズでの活動の中には、他にも沢山の思い出と学びがあります。

日本代表辞退者がいつ出てもおかしくないのではないかと思うほどのえげつないランニングフィットネスメニューが、当時のサクラセブンズには課せられておりました。(私はオールアウトして失神した経験もあります。笑)

『世界一の運動量』

これを武器に戦うという目標のもと、数々の地獄の合宿を経験して来ました。(当時のメンバーはこれを◯◯ショックと呼ぶ。◯◯には合宿地が入る。)

フィットネスメニューのトップ争いはいつも、山口真理恵選手、鈴木陽子選手、田坂藍選手、中村知春選手、伊藤絵美、このメンバーだったと記憶しています。(私もトップ争いしてた!っていう当時のメンバーいたらごめんなさい。)

熊谷ショックのショック後(@立正大学グラウンド)

特にきつかった千葉県勝浦での合宿では、早朝より宿舎から浜練のビーチまでまず全力疾走し、砂浜では遠ーーくに見えるクジラをタッチして戻ってくるというメニューが何本も与えられ、足のとられる砂浜でのダウンアップや男性スタッフにガツガツやられるコンタクトメニューをたっぷりこなした後、宿舎までまた全力疾走して競争して帰るのが朝一番のトレーニングメニューでした。

ちょうど登校途中だった勝浦の地元の小学生たちが、ヘッキャをかぶり砂まみれで鬼の形相で、そしてすごいスピードで走る女たちを横目にドン引きしていたのを思い出します。笑 ゴールした直後は倒れ込み起き上がれず、過呼吸になる選手や、嘔吐する選手もいて、地獄絵図でした..

自衛隊にも数回入隊し、訓練の体験をさせていただいたこともあります。

そんな過酷な当時のサクラセブンズ合宿でしたが、私はなぜかいつも行くのがとても楽しみでした。当時のメンバーには毎回あんなきついことをするのに頭おかしいと思われるかもしれませんが、純粋にみんなに会えるのが楽しみでした。

『きついことを一緒に乗り越えた先にある絆。』

これを得られた気がしています。

自分1人の夢や目標であれば簡単に諦めてしまっていたと思います。それだけきつくて諦めたくて逃げ出したくなるメニューでしたが、一緒に夢を追いかける仲間たちを思うと走ることを辞めるわけにはいきませんでした。

諦めることを諦めていました。

今でも当時の苦楽を共にしたメンバーとは、普段なかなか会えなくても一生消えることのない絆を感じています。

フィットネスには自信があった私ですが、ラグビーでは他の代表選手たちについていくのに必死で、ある日の夕食時に鈴木彩香選手とこんな話をしたのを覚えています。

『えみさんは本当フィットネスあってすごいね!』

『フィットネスをつけることは簡単。でも彩香みたいなラグビー理解度とスキル、経験値を得るには時間がかかる。お金で買えるなら買いたい。笑』

トライアウトから代表になった選手たちと、元々ラグビーをしていた選手たちの間にはスキルや経験値の部分で大きなギャップがあったはずです。

左:大尊敬する先輩の辻元つかささん(現・追手門学院高校監督)右:日本代表で活躍・WRCコアメンバーの鈴木彩香さん

当時のサクラセブンズメンバーはそんな私を受け入れてくれ、優しく時に厳しく、ラグビーを教えてくれました。

特に大黒田裕芽選手は、10歳も歳が離れていましたがいつも『えーし、えーし』と私を呼び慕ってくれていました。

10歳も下ですが、ラグビーキャリアでは先輩です。

『えーし、ラグビー見よ』とノックもせずに私の部屋に入ってきて、iPadでその日の練習や試合映像のチェックをしながら色んなことを教えてくれました。私に敬語は全く使わない大黒田裕芽選手でしたが、人として私を大切にしてくれているリスペクトと信頼を彼女からいつも感じていました。

当時最年少コンビかつエースの鈴木陽子さんと大黒田裕芽選手(ソーシャルディスタンス皆無の可愛い後輩たち)

今まで上下関係が厳しく部則も沢山あったバスケットボールの世界から、ラグビーの世界に飛び込んで、新鮮に感じたことの一つです。

敬語がきちんと使えても、信頼のない人は世の中に沢山います。敬語が使えていないと時々怒られていた当時の大黒田裕芽選手でしたが、私は彼女から本物の信頼関係を教わりました。今では素敵な大人となり、もちろん敬語も使えます。笑 

当時はまだ高校生。最年少で代表入りし、先輩たちに沢山関わってもらって日本を代表する選手に成長していきました。

(当時の様子を文章で表現しましたが、これは良い意味で上下関係なく真の信頼を築き、本当の姉妹や家族のようになるサクラセブンズを例える表現ということをご理解いただけますと幸いです。)

そして、代表活動中に私が最も忘れられない、沢山のインスピレーションを与えてくれて、いつも私のモチベーションでいてくれた人がいます。

それは、兼松由香さん。

現在セブンズユースアカデミーでヘッドコーチを務めていて、昨年日本の女子ユース選手たちを世界一に導びかれました。

由香さんと私は当時名古屋レディースで共にプレーしており、一緒にリオ五輪に出よう!といつも励まし合いながら合宿へ参加していました。合宿中の朝練のスタートは5時台と早く、朝からベストパフォーマンスを出すのが難しい選手たちもいました。その中で由香さんはいつも1番に来て体のケア、セルフウォームアップを済ませて、若手たちをおはようと迎えていました。

彼女は決して大きくはない体でしたが、ハードタックルを自身の強みとして代表選手として長年活躍されていました。長年のラグビー歴の中で怪我も多く、肩、膝とボロボロのコンディションの中、『自分でできる全ての最高の準備』をして毎練習に挑む姿に私はいつも感銘を受けていました。

由香さんは、『絵美、私は今日練習で大怪我をして引退になってしまったとしても、後悔なく引退できるよ。』と私に言いました。この時リオ五輪まであと2年ほど。

この言葉は私の心に深く深く刺さりました。10代の選手たちもいる中で由香さんは当時30歳を過ぎて五輪を目指していました。今日の練習で大怪我をして引退になったら自分は後悔せずにラグビーを終えられるか..オリンピックを諦められるのか..

自問自答していましたが、当時の自分の答えはNoでした。絶対後悔する。これを後悔ない!と言い切れる、ラグビーに対する全ての準備。

それは、睡眠、食事、セルフケア、休養、チームとの関わり、全てを最高の状態でやり切って準備して、そして毎練習に挑む由香さんの覚悟だったのだと気付かされました。そして由香さんは34歳でリオ五輪出場を果たしました。

私は目標には手が届きませんでした。

兼松由香さんとリオ五輪壮行会にて

ですが、由香さんとサクラセブンズのみんなと夢を追いかけた日々は一生の財産ですし、みんなから得た沢山の学びが今の自分を作り、支えてくれています。そして私も由香さんのように最高の準備を続けることはその後現役生活での習慣になりました。

『今日の練習で大怪我をして引退になっても後悔はない!』といつも思いながら、日々全力でラグビーと向き合い、私も由香さんがリオに出た歳と同じ34歳まで現役を続ける決意をし、その決意通り、34歳でラグビーを引退しました。

引退最後の年まで手術ひとつしたことがない丈夫な体の維持と、ブロンコ(持久走測定のメニュー)の記録を更新し続けられたことは、強い体で産んでくれた両親とそして由香さんのおかげです。

文:伊藤絵美